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Herald Tribune asahi
富士鳥居 代表取締役 栗原直弘
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日本の土となる
明治の開国後、日本は一気に近代化を推し進めます。時の新政府や教育機関は、当時最先端の学問や技術を取り入れるため、アーネスト・フェノロサやジョサイヤ・コンドル、ラフカディオ・ハーンなど、多くの外国人技術者や学者を雇い入れいれました。そしてその多くが、日本を離れるあたり、「日本はこのまま変わらずにいてほしい。」という言葉を残しています。さらに一部の外国人は、この日本という「美しい国」に魅せられ、自らが生まれた国を捨て、この国の土となりました。
私の外国人の友人の中にも、この日本という国、そして日本人という在り方に共鳴し、この国に留まろうとする人々がいます。しかしその反面、日本人の中には外国の永住権を取り、また海外の口座に資産を移して、自らが生まれた国を捨てる人々がいます。そして、この両者の違いは、この両者が何を求めているかの違いでしょう。
 
守り伝えて行くために
かつて日本の「物づくり」には「心」がありました。それは、使う物の身になった「物づくり」であり、作る側の「思い遣り」なのです。私の生業の美術品に関して言えば、作り手が金銭的な呪縛から離れ、作品を通して自らへの挑戦を始めた時、初めて「美」が生まれます。
 
まだ、この国にはそんな土壌が残っています。しかし、肝心の日本人自身が他と競い争うことに夢中になり、金銭的な成功が人を量る尺度となった今、このような「思い遣り」に裏打ちされた日本の物づくりは日々失われつつあります。これは取りも直さず、この「美しい国」が日々失われているということなのです。
前出の藤原氏は自らを、ナショナリストではなく、パトリオットであると語っておられます。自らが生れた国を愛することに右も左もありません、また私は決して地図上の国境を濃くしようとする者でもありません。多くの先達が守り、伝えてきたこの「美しい国」に生まれ、この「美しい」という本当の意味を、どのように子や孫に、さらに世界に伝えて行くか、それは人としての、私の希望でもあるのです。
 
富士鳥居という在り方
ここ原宿・表参道では、今でも外資系のブティクの出店ラッシュが続いています。何故私が、このような流行の最先端で、日本の古美術や美術工芸品などというスモール・ビジネスを続けているのか。それは、この商売の大義にあります。古美術商とは、人間の英知を未来に繋ぐ仕事であり、新しい美術工芸品を商うということは、作家や職人の生活を支え、その技術を守り伝えてゆくという大義があるのです。
一段と進む国際化や効率化の流れの中で、美術品の世界においても、他の国で作られたコピー商品や無秩序に量産された廉価品が溢れています。もちろん、すべての人が美術品に興味があるわけでも、高いものを買えるわけでもありません。しかし誰かが、「本物」とその「技術」を、そして何よりも、その元となる「文化」や「心」を守らなければならないのです。何故ならば、過去の歴史を見るまでも無く、一度消えた文化の火は、もう二度と燃え盛る事はないのですから。
 

 
「心」の輸出
近年よく耳にするグローバル・スタンダードとは、いったい誰のためのスタンダードでしょうか。地位も身分ものある方々から、物知り顔で「それが世の中だ。」、したり顔で「それが政治だ。」というご意見を頂戴することがあります。しかし、私にとってスタンダードとは、「世界人類の平和」、いや、「生きとし生けるものすべての平和」なのです。
私には特定の信仰も思想もありません、しいて言うならば、私の信条は「信仰以前の、人としての真実」でしょう。21世紀を迎え、多くの人々が今、心の平穏を望み始めています、そのために私に何ができるでしょうか。戦後、日本は多くの「物」を輸出してきました、私はこのようなコラムを通じて、日本人の在り方や思い遣りの「心」を、日本国内は本より、海外にも輸出したいと希望しています。また皆様と、どこかの誌面でお目にかかれることを願って。
 
末筆ながら、昨年11月、12月の二回のコラムを通じ、多くのご意見やご指導をいただきました皆様に感謝いたします。また、この企画にご賛同いただき、無料での翻訳を申し出て下さった、(株)ファイネックスの桑原社長に心から感謝し、朝日新聞英文メディアチームの渡邉君、山田さんにエールを贈ります。ありがとうございました。
 
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