space
Antiquescopyrights
backgroundspacebackground
space space space
spaceribbonspace
Herald Tribune asahi
富士鳥居 代表取締役 栗原直弘
space space space space space
清潔な日本
外国人が仕事や観光で日本を訪れてまず驚くのは、街中がきれいに清掃されていることでしょう。もちろん海外でも、公共の施設などはきれいに清掃されていますが、清掃員のいないエリアに一歩足を踏み入れれば、日本のようなわけにはいきません。海外でも都市によっては清掃や雪かきを法的に義務付けているところもありますが、日本にはそのような法律はありません。
 
では何故、日本がこのような清潔な環境を維持できるのでしょうか。それは、日本人が長い歴史の中で培ってきた「日本的な在り方」によると考えています。表参道に面した私の店でも、誰かに頼まれたわけでも、誰かに強制されたわけでもなく、毎朝、店頭を掃き清め、秋には大量の落ち葉を集め、雪の日には雪かきを、創業以来60年間、くる日もくる日も続けてきたのです。
 
当たり前という意識
日本において、自分の店の周囲を掃き清めるというのは、「当たり前の事」とされてきました。そして、その根本にあるのは、「汚いよりきれいな方が、自分自身が気持ちいいから。」という、日本人の意識に発しています。
 
近年の効率化によって、多くの仕事が専門職化し、分業化し、掃除などは社外の業者に委託することが多くなりましたが、私の店では今でも社員全員で掃除をしています。このことは、お客様に清潔な環境で、また美しい状態で商品を見ていただきたいという思いであり。さらに、社員が日常的に美術品を手に取り、その美しさや質感を勉強する絶好の機会でもあります。そして何よりも、若い社員達に、ただ仕事としての掃除や義務としての清掃ではなく、「どうせやるなら隅々まできれいにしよう。」という、自分と向き合う意識を持ってもらいたいと願っているのです。
 
日本人の意識
では、このような日本人の「当たり前」という意識の元となっているのは何でしょうか。以前、このコラムで取り上げた、藤原正彦氏のベストセラー「国家の品格」では、新渡戸稲造の逸話として、「確たる信仰の無い日本人の精神文化を支えてきたのは、武士道精神である。」としています。しかし、近世の日本において武士という身分を持った人は、その家族などを含めても、全体の1割にも満ちませんでした。では、その他の9割の人々が、このような意識を保ってこれた理由は、やはり「清々しい気持ちでいられるか否か。」という、自分自身に対する問いかけでしょう。そしてそれは、力による支配でも、また信仰の力でもありませんでした。さらに、「どうせやるなら隅々まで丁寧にやろう。」という日本人の意識は、森羅万象に対する「思い遣りの心」だと、私は考えています。このような日本人の意識にこそ、「日本的な在り方」のヒントが隠されています。
 

 
胸に聞け
日本には一神教のような絶対的な神との契約は存在しません。しかし、日本には昔から「自らの胸に聞け。」という言葉があり、日本人は自らの内にある意識との対話によって正否を判断し、物事を成してきました。これは信仰や教育以前の意識であり、人として感ずる「清々しさ」、「心地よさ」、そして「潔さ」などの意識が判断の基準となってきたのです。そして、それらは外的な権力や暴力にも屈することもありません。
 
このような日本人の在り方は、時として一個人の利害を超えることがあり、故に日本人は自らの命を投げ出してまでも、信条や信念を貫いてきたのです。たとえ身分は武士でなくとも、「大義のためには、自らを犠牲にする。」という意味では、これもまた武士道と呼べるかもしれません。しかし、現代のように、個人の利益ばかりを尊重する世の中においては、多くの日本人もまた、その在り方を自らの「胸に聞く」ことなく、個人的な利害や損得によって判断し、物質的な利益がすべてに優先し始めているのです。
(つづく)
 
space
footer
space
space
space