space
Antiquescopyrights
backgroundspacebackground
space space space
spaceribbonspace
Herald Tribune asahi
富士鳥居 代表取締役 栗原直弘
space space space space space
物造りと日本人
日本のトヨタ自動車が、その生産台数において、自動車の本場であるアメリカやヨーロッパの各メーカーを抜き、世界第一位に躍り出る勢いです。もはやこれは、「猿真似日本人」のなせる技ではなく、やはり製品の優秀さと価格との総合力で勝ち得た地位でしょう。では何故、これほど日本の自動車や工業製品が売れるのか、それはもちろん日本人の勤勉さや生産管理能力などもあるでしょう。
しかし、自動車の生産に関しても、近年一段と他のアジアの国でのアウトソーシングが進み、日本国内で生産されている製品は少なくなっています。このように、すべてのメーカーは生産のグローバル化によって、同じ条件、同じ土俵で競っているのです。その中で、日本の自動車が世界市場を席巻している理由は、日本メーカーの物造りに対する姿勢以前に、日本人の意識にあると、私は考えています。
 
非効率的な日本人
私の知人に、日本でまだ自動車が珍しかった1950年代から、自動車の整備や修理の仕事をしている人がいます。彼の話では、「昔は、外国車の整備をする時は、バリで手や腕を切るので、肘まである皮の手袋をはめた。でも日本車は、見えない部分まで仕上がっていたから、そんな必要はなかった。」という話を聞いた事があります。
 
実は、この「見えない部分まで仕上がっている。」ということこそが、日本の物造りの根幹を成しているのです。
私の商う日本の古美術品においても、漆の作品などは、目に見える表面の加飾よりも、むしろその内側の木地の補強や下地の塗りに、何倍も手間隙を掛けているものがあります。戦後に構築された生産性や効率という観点から見れば、正に「非効率」「非生産性」を絵に描いたような有り方なのですが、私はむしろ、そんな作品に感動を覚えるのです。
 
自分への挑戦
三代続いた古美術商の家に生れながらも、戦後の「効率主義」や「生産性の向上」という教育を受けてきた私は、日本の職人の非効率的な仕事を見るにつけ、若い頃には「どうしてこんな、目に見えない所にこだわっているのだろう。」と、疑問を持ったものでした。しかし、ある職人に、「こうしないと百年もたないし、それ以上に自分の気が済まないから。」と言われた時、「ハッ」と目の覚める思いした経験があります。これこそが「日本人気質」であり、「日本人の思い遣りの心」なのです。
そしてこれはまた、伝統という長年培った経験や知恵にも裏打ちされた、造り手の未来への挑戦でもあるのです。
 
さらに物造りに関わる者は、あるレベルに達すると、「自分がどこまで出来るか。」という「自分への挑戦」の中で、採算を度返しして、注文以上の仕事、120%以上の力を出してしまうことがあるのです。これはある意味では、天のなせる技かもしれません。
 
国家百年の大計
21世紀を向かえて、私は人類が大きな岐路に立っていると考えています。その方向性には、以前にもこのコラムでお話した、日本人の「思い遣り」、「日本人気質」に大きなヒントがあるのではないでしょうか。 いったい、「物造り」とは誰のための「物造り」なのか、「サービス」とは誰のため「サービス」なのか、さらに「情報」とは誰のための「情報」なのか、そして、誰が利益を得るための「物造り」や「サービス」、「情報」なのかを、改めて問い直す時が来ているのではないでしょうか。
言うまでもなく、「物造り」も「サービス」も、そして「情報」も、それらを提供する側の利益のためにあるのではなく、これらはすべからく、受け手側の利益のため、言い換えれば人の幸福のためにあるのであり、その結果として提供する側にも、後から利益がついてくるのです。しかし、現代はまさに本末転倒、場合によっては提供する側の暴力にも似た在り方に、受け手が怯える姿さえ目にすることがあります。
このことは、世界は誰のためにあるのか、そして地球は誰のために廻っているのか、ということにも通じるのではないでしょうか。日本には「国家百年の大計」という言葉があります、それは目先の利害に囚われず、百年先の在り方を見据えた働きをするという意味であり、これは今の人類にとって「地球千年の大計」と云い変えることができるのではないでしょうか。
 
(つづく)

 
space
footer
space
space
space