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Herald Tribune asahi
富士鳥居 代表取締役 栗原直弘
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実態のある啓蒙活動
今年の5月末に掲載した、このコラムに、ある在日の外国人の方から感想を寄せていただき、「私も日本の伝統文化の衰退を憂い、その原因は日本の教育にある。」という、ご意見を頂戴いたしました。現実に、日本の義務教育である小学校や中学校の教科書では、日本の伝統や文化に触れる項目はほとんどありません。まして日本の伝統的な美術品に触れる項目は皆無といっていいほどです。さらに、先般「高校の卒業単位不足」で話題となったように、高校の歴史教育は大学受験を中心に廻り、日本史は選択科目ですらないのです。
 
さらに、コラムを寄せていただいた方の感想には、「貴方のコラムのタイトルと一部の内容はネガティブな方向にフォーカスし過ぎていて、非生産的である。」とのご指摘がありましたが、この「ネガティブ」という部分に関しては、「危機意識の喚起」とご理解いただき、また「非生産性」という部分に関しては、本業の美術品の販売や、この第3クールでお話しているような、「本金蒔絵ワイングラス」などの企画や製作などを通して、実態のある日本文化の啓蒙活動を続けていることを知っていただきたいと希望します。

 

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厳しい現実
国際化を推し進めるあまり、日本が伝統や文化を蔑ろにしてきたことに加え、日本の歴史や伝統を先の悲しい戦争と結び付ける戦後教育の歪から、ほとんどの日本人が自国の伝統的な文化や工芸品を知らないのです。さらに、日本人自身が伝統的な工芸品を使わなくなったことに加え、他のアジアの国で作られる廉価品やコピー商品の蔓延によって、日本の伝統工芸は衰退の一途をたどっています。
 
前回のコラムでお話した「蒔絵」などの技術は、ピアノやヴァイオリンと同じく、日々の反復練習によって得られるものであり、若い職人ほど数をこなして腕を磨き、その確かな「技」の上に本当の「美」が降りるものなのです。しかし近年の「蒔絵」を取り巻く環境は、技術を養う以前の厳しい状況にあります。仕事の少なくなった、ある若い蒔絵師は、収入を補うためにコンビニでアルバイトをしながら、細々と仕事を続けていました、しかし彼は婚約を機に、安定した収入のあるコンビニエンス・ストアーの社員になりました。正に「本金蒔絵ワイングラス」は、そのような若い蒔絵師達の仕事を増やすことを目的として考案したものなのです。
 
根本からの発想転換
いかに伝統があろうと、技術がすぐれていようと、すべての物事は必要とされなければ存続しないのです。現代の日本人が使わなくなった「お椀」や「重箱」に、いくら優秀な蒔絵を施したところで、需要がなければ、それは無駄になってしまいます。「本金蒔絵ワイングラス」は、「たとえ漆器の上でなくとも、今、需要のあるものに蒔絵を施す。」という、根本的な発想の転換から生れ、さらにこの需要によって、「本物の技術を未来に繋ぐ。」という大義によって制作したのです。
 
この大義にご賛同いただいたリーデル・ジャパンのウォルフガング社長を始め、PRマネージャー吉田裕子さんのお力添えで、「本金蒔絵ワイングラス」は美しいばかりでなく、ワインをより美味しく飲むために葡萄品種ごとに形状を工夫され、多くのソムリエ達が推奨するリーデルというキャンバスを得たのです。そして、一昨年の秋には、オーストリアからリーデルの会長ゲオルグ・リーデルご夫妻が富士鳥居を表敬訪問され、蒔絵師も京都から駆けつけて実演をご覧頂き、リーデル氏より若い蒔絵師に励ましの言葉を頂戴いたしました。しかし、日本の伝統工芸において、この「本金蒔絵ワイングラス」ような成功例は極めて稀なものなのです。
 
存在意義の危機
このような伝統工芸の衰退は、実は日本に限った事ではありません。私の友人が、アメリカ本土でネイティブ・アメリカンのシルバー・ジュエリーを探した時、そのほとんどが中国製であったという話を聞きました。その友人はネイティブ・アメリカンの精神性に興味を持ち、せめてその血を受け継ぐ人の作品にこだわっていたようです。しかし、効率と利益優先の時代にあって、本来、量産品や工業製品とは違う伝統工芸も、いつしかその波に呑み込まれ、人件費の安い国で量産した結果、本物の技術者が職を失い、後継者が育たないという事態が世界各国で起きているのです。
 
洋の東西を問わず、伝統工芸というものは、見た目が同じであればよいというわけではありません。その根本には、それぞれの国の伝統と文化に裏打ちされた「技」と「心」があり、それが「国や民族の誇り」でもあるのです。日本人の中にも「伝統工芸などなくても生きてゆける。」と言う人がいます。確かに、ただ生活するだけならば、プラスチック製品だけで十分でしょう。しかしその発言は、「日本などなくとも生きてゆける。」ともとれるのです。そして、それは自らが生れた国の伝統や文化、ひいては自らの存在自体を否定することではないでしょうか。
 
(つづく)
 
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