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Japanese People Do Not Know Japan
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「純粋芸術」とは

前回お話した、美しい物を造ろうとするエネルギーによって成された「純粋美術」に続き、今回は「純粋芸術」についてお話をしたいと希望しています。この論考でいう「純粋芸術」とは、「美」の創造を目的としたものとは限りません。例えば、パブロ・ピカソの大作「ゲルニカ」のように、戦争の悲惨さを世に問う作品や、ビンセント・ヴァン・ゴッホの作品のような、その美しい色彩の裏にある、彼自身の苦悩を鑑賞するような作品も存在します。
 
このように、「芸術」とは人間の「苦悩」「悲しみ」「怒り」「嫌悪」「怠惰」などの、作者の情念の世界や、主義主張を表現したものであり、「美」のエネルギーを宿さない作品もあるのです。さらに「芸術」は、それ自体への評価ばかりでなく、その作者の生き様に対する評価、また作者が生きた時代や思想なども大きく影響しています。言い換えれば、「芸術」とは作者のエネルギーばかりでなく、彼らを取り巻く世界のエネルギーを反映したものであり、前回お話した「純粋美術」のように万人が素直に受け入れられるエネルギーではありません。さらに「芸術」とは、この論考のBでお話したように、第三者の評価によってもその価値が変わる、「人為的な美」でもあるのです。
 
芸術の意味

ここでいう「純粋芸術」とは、それまでの「美」や「技」の追求から離れ、人間の意識や内面性を表現したものを差しますが、ある意味でこれは、私小説的な個人表現であり、他の評価を受け入れない場合もあります。何故ならば、人の顔がそれぞれ違うように、個人の葛藤や苦悩はそれぞれの生い立ちや立場によって違い、本来それを理解するのは不可能であり、本人以外には理解し得ない場合もあるのです。しかし、このような作品に内包された強いエネルギーは、時として人の心を動かすことがあり、そのようなエネルギーに同調し得る一部の者達によって評価されてきました。
 
ヨーロッパに芽生えた「純粋芸術」は、後にそれぞれの時代の思想や哲学と結びつき、「美の精神性」という新しい世界を構築してゆきます。しかしそれらは、既に純粋な人間のエネルギーの発露ではなく、それぞれの時代の意識を繁栄し、作者のパフォーマンスによって構築された、社会というエネルギーの産物でもあるのです。そして、そのような作品は一部の識者や画商などによって評価され、サロンや展覧会によって付加価値をつけることで、商業主義の中でその存在感を増してきたのです。
 
日本の在り方

明治の開国に伴い、日本でもヨーロッパの「美の精神性」や「オリジナルの定義」を重視した「芸術論」が展開され、それまでの日本の装飾的な美術品や工芸品を一段下に見るような、大きな考え違いが生れました。
例えば、同じ日本画でも、伝統的な狩野派の絵画よりも、よりオリジナリティーがあるとされた伊藤若冲などを評価する時代が長く続きます。しかし、このような見識は、東洋的の「美」の成り立ちや、その土壌を無視したものであり、「東洋の在り方」に対する認識不足に他なりません。
 
日本における「美の精神性」とは、西洋のように作品によって表現するものではなく、作品を制作する以前に、作者自身が自らの内に求めるものなのです。言い換えれば、日本の「美の精神性」とは、外に向かって表現するものではなく、技術的な鍛錬を積み重ねる中で自分自身と向き合い、自ら精神性を高めた結果として生れるものなのであり、理屈や第三者の評価を必要しない絶対的な「美」なのです。故に、日本では20世紀初頭まで、「美術」や「芸術」という言葉すらありませんでした。
 
「本物」から「本質」へ

産業革命以後のヨーロッパでは、社会制度の変化と貨幣経済の発展によって、それまでの美術や芸術の庇護者と入れ替わるように、新しい需要層の台頭によって美術品や芸術作品は金融商品としての色彩を強め、それら本来の意味や評価とは別に、新たに市場価格という金銭的な評価が加わりました。抽象画なども含め、いわゆる「芸術」と呼ばれるものは、人間が元々持っている「美の感性」に直接訴え掛けるエネルギーではなく、同じ意識や思想をもつ者や美術評論家などの評価を、世間一般に流布、浸透させたものなのです。また、その価値は、作品の持つ作者のエネルギー以外に、権威による評価やオークションの落札価格などの裏づけを必要とします。しかし、このような評価は、時代や権威自体への評価か変れば、すべてが変る可能性があり、ある意味では不安定な価値観でもあります。
 
近年オークションで高値を呼んでいる現代美術などもまた、一部の識者というわれる人々の評価によるものであり、作者や作品自体の価値ばかりでなく、それらを評価した権威への評価である場合も多いのです。解かりやすくいえば、「芸術」とは、その作品を誰が評価したか、オークションでの価格が幾らであったか、という価値観の上に成り立っています。さらに現代美術の場合、その制作におけるテクニックを重視しないパフォーマンス的な表現によって成された作品も多く、その価値に疑問を持つものが多くあります。現在の混沌とした「美の価値観」の中で、私達はかつての日本的な在り方を踏まえ、たとえそれが世界的に著名な作家の作品や一般的に価値があるとされる作品であっても、その存在自体を純粋に評価しているのか、それとも金融商品として評価されているのかを、自らの「眼」と「心」で見極める時代がきたのです。
 
つづく
 


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