space
Antiquescopyrights
backgroundspacebackground
spacespacespace
spaceribbonspace
Herald Tribune asahi
Japanese People Do Not Know Japan
space space space
品物の価値

私の立ち位置から見れば、近年の美術品や古美術の価値や価格、またそれらの流通はとても異常なものに見え、さらに昨年来の経済の混乱によって一段と混迷を深めているように思われます。今でもニューヨークなどの一部のオークションでは、一部の商品が驚くような高値で落札されており、私のところにもお客様や知人から「あのオークションで落札された品物は、本当にあの価格の価値があるのか?。」という質問が寄せられます。確かに、一部のオークションの落札価格の中には一般の相場を逸脱したものもありますが、むしろこのような質問は、その質問自体に根本的な誤解があります。
 
公開オークションのような、誰でも参加でき、一番の高値をつけたものが落札する権利のある場所では、その品物の落札価格がその品物本来の評価や価格とは限らないのです。何故ならば、コレクターにとってどうしても手に入れたい物が出品された場合、同じような思いのコレクターが何人かで競り合えば、相場以上の値がつくこともあるのです。これは、逆もまた真なりで、たとえ美術品として評価や価値の在る物であっても、その時のオークションで需要がない場合には落札されないこともあり、だからといって、その品物に価値がないというわけでありません。
 
ハンマープライス

前項でお話ししたように、オークションなどでの落札価格は相対的な価値観の中にあり、さらに美術品は、たとえどんなに「美しい物」や「貴重な物」であっても、その価値を理解する人がいなければ評価されず、値段が付かない場合もあるのです。また逆に、美術品としてはそれほど価値の無いものでも、その作者の人気や投機的な思惑などによって、驚くほど高額で落札される場合もあり、オークションにおける瞬間的な金銭的評価と美術品そのものの評価は別の次元の話しなのです。
 
もちろん、オークションのカタログなどにはエスティメイトがあり、だいだいの落札価格が示されていますが、しかし、それはオークション会社がその品物の価値や価格を保障したものではなく、過去のオークションでの実績を元にして予想落札価格を表示しているにすぎないのです。言い換えれば、オークション会社は「場所貸し」であって、価値の判断はしておらず、落札価格に関しては、すべて落札者の自己責任なのです。実は、多くの人がこの事実を知らず、長年に渡り美術品の価値や価格を混乱させる原因ともなってきました。
space
space
space
フィクション

以下は、私の創作だと思ってお読み下さい。私の友人に、ある美術大学の教授も勤める現代アートの作家A氏と、あるオークション会社の役員B氏がいたとします。私はそのA氏に100万ドルで作品を注文し、またオークション会社のB氏に、私がB氏のオークションにA氏の作品を出品し、私自身で1000万ドルで落札するから通常20%の手数料を10%に下げてくれるように頼みます。私がB氏のオークションでA氏の作品を1000万ドルで落札しても、オークション会社の手数料10%を引いた900万ドルは私の手元に戻るのですから、その作品の原価は私がA氏に支払った100万ドルとB氏のオークション会社への手数料100万ドルの合計金額200万ドルということになります。
 
その結果として、A氏の作品はB氏のオークションにおいて1000万ドルで落札されたという実績が残ります。さらに、私の友人の出版社のC氏や評論家のD氏などに依頼して、A氏の作品を1000万ドルの価値のあるものであると宣伝してもらいながら、このような取引を計3回繰り返します。4回目にA氏の作品をオークションに出品した時、マスコミの情報と以前の落札結果を元にして、他のコレクターや投資ファンドなどがA氏の作品を1000万ドルで購入したとすれば、私の手元には1000万ドルから4回分の元手700万ドルを引いた300万ドルが入る計算になります。これは話しはフィクションですが、オークションではこのような価値の捏造も不可能ではないです。
 
価値の捏造

私は、この第5章「美という名のエネルギー」において、「美」というものが本来持つ「価値」と、市場における「評価」と「価格」の違いをお話ししてまいりました。美術品に限らず、物の「評価」や「価格」は需要と供給という市場原理によって決められています。しかしながら、それが本当の「価値」であるか否かは、それぞれの判断でしかありません。先の大戦後に構築された情報化社会の中、テレビ・コマーシャルで繰り返し流された家庭用洗剤の名前を覚えてしまうように、我々はさまざまな価値観を刷り込まれてきました。知名度のある物、評論家や学識経験者が「評価」したものに「価値」があると思い込み、さらに我々は、多数決という曖昧な方法や集合意識によって品物や物事の「価値」や「価格」を判断してきたに過ぎないのです。
 
東西の壁が崩壊して後、さまざまな情報の開示によって、一部のイデオロギーや宗教ですらある種の経済活動であり、また貨幣経済というもの自体が一部の人々の集金システムであることが明らかになった今、既存の価値観は崩壊しつつあります。さらに、未曾有の世界経済の混乱の中で、多くの人々はすでに、捏造された「本物」ではなく、物事の「本質」を模索し始めています。拝金主義的なシステムから離れ、人として生きるとはどういうことなのか、人間だけに与えられた「美」を愛でるという行為、また「美」を所有するということはどういうことなのか、我々は既存の価値観から離れ、自分自身と向き合い、物事の価値を自らに問い直す時が来ているのです。
 
つづく
space
space
footer
space
space
space