space
Antiquescopyrights
backgroundspacebackground
spacespacespace
spaceribbonspace
Herald Tribune asahi
Japanese People Do Not Know Japan
space space space
品物の価値

言うまでもなく、価値の認識とは相対的な判断によるもので、人それぞれが有する知識や情報によって異なります。また、価値観はそれぞれの生まれ育った環境や経験によって大きく異なり、それは人の数だけ存在しています。そして、「美術品」や「古美術」は、それらに価値を見い出す意識や知識が持てなければ、無用の長物でしょう。悲しいことに、21世紀を迎えた今でも、多くの国の多くの人が日々の糧にさえ不自由し、「美」を愛でる余裕などないことも現実です。私は今生を人として生まれ、この日本という豊かな国に育ち、このような文章を書ける立場にいることを改めて感謝しています。
 
現在、世界中の大都会と呼ばれる街には、美術品や古美術と呼ばれるものが溢れています。しかし、前回のコラム(http://www.fuji-torii.comで公開中)でお話したように、何を基準にしてそれらを美術品や古美術と呼ぶのかが問題なのです。価格という点では、公開オークションの落札価格などは一応の目安ではありますが、それは、その時々の人気投票のようなもので、たとえ金銭的に高い評価であったとしても、誰がどのような意識と目的で購入したかによって、その価値は変わります。また、たとえ落札価格が低くても、評価すべき「美」は沢山あり、価格だけがそれらの価値を反映しているとは限らないのです。
 
ハンマープライス

前回のコラム掲載後ある読者の方から、日本で江戸時代に刷られた木版画、いわゆる浮世絵とその複製の価値や価格について質問を受けました。その方も多くの外国人の方達と同じように、木版画の浮世絵は原画が描かれた時代に数十枚だけ刷られたものだと誤解しておられました。実は、木版の浮世絵で人気のある図柄は、江戸時代から今日に至るまで、版木自体を何度も彫り直し、その後も大量に刷られているのです。
 
明治時代に日本の木版画が数多く海を渡り、そのエキソティシズムも含め、日本的な図案や構図などが評価され、ルノアールが収集し、ゴッホが模写したことで知名度も上がり、欧米では多くの美術館が木版の浮世絵を所蔵しています。また、歌麿や写楽などは時折オークションなどで驚くような高値で取引されていますが、日本人にとって木版画の浮世絵は、庶民が楽しむために印刷された廉価版の刷り物だったのです。確かにその中には、「初刷り」と呼ばれる初版本で、原画を描いた画家、版木を彫った彫り師、それを刷る刷り師や版元が一同に会して色決めや微調整をした特別なものもありますが、二版目からは版元が自由に版木の数を減らし、色を変えて、その後も刷り続けてきたのです。
space
フィクション

ここで読者の皆様に誤解の無いようにお願いしたいのは、私は決して木版で刷られた浮世絵の「美」や「魅力」を否定しているのではありません。私の店では、今でも肉筆の屏風や掛軸と共に、江戸から明治の木版画や今現在刷られている複製も販売しています。何故ならば、原画のエネルギーを元にして、彫り師がそれぞれの色ごとに何枚もの版木を彫り上げ、刷り師が丁寧に重ね刷りした木版画は、それぞれのエネルギーが融合した「美」であることに間違いはありません。しかし、大量に印刷された印刷物が、何故オークションなどであれほどの高値を呼ぶのかと疑問を持たれる方も多くおられます。それは、「美という名のエネルギー」の8回目でお話ししたように、希少性がある作者や図柄は、コレクターにとって何物にも変えがたい価値があるのです。
 
肉筆、木版画、リトグラフばかりでなく、近年ではオフセット印刷や画像をコンピューターに取り込んでプリント・アウトした美術作品まで存在します。そして、このような新しい技術で印刷された作品でも、原画を描いた作者の知名度によっては、江戸や明治時代に描かれた肉筆よりも高値で取引されるという不思議な現象が起きています。もちろん価値観は人それぞれですが、印刷された物と人が手で描いたものとでは明らかにエネルギーの違いがあり、作者や作品の知名度は、それらの「美」とは違う価値であることを、以前からこのコラムをお読みいただいている皆様にはご理解いただけるでしょう。
 
価値の捏造

前項でお話ししたような美術品や古美術の価値や価格の混乱は、今までの「美」に関する教育や情報に問題があり、さらにその裏には、金銭目的の捏造や操作があると考えています。「美という名のエネルギー」の13回目でお話ししたように、美術品や古美術の評価や価格は資本さえあれば捏造することが可能なのです。そして、このことは美術品や古美術に限らず、20世紀の右肩上がりの経済の中で、さまざまな分野において行われてきたのでしょう。
 
この第5節「美という名のエネルギー」で、「美」というものがある種のエネルギーであることをお話ししてきたのは、単なるパフォーマンス的な芸術の評価や投機的な美術品の価格に疑問を投げかけ、20世紀の金銭的な価値観から離れて、すべての「美」を「エネルギー」という同じ物差しで測ろうという試みなのです。そして、その真の目的は、「美」を通して現代社会のさまざまな物事に対する評価や価格、我々の既成概念や価値観が、何を基準にして造られ、誰のために造られてきたかを、読者の皆様とともに検証してゆきたいという思いからなのです。
 
つづく
space

space
space
footer
space
space
space