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Japanese People Do Not Know Japan
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本来の「神道」

日本の「神道」の話をすると、今でも多くの外国人が、先の悲しい大戦時の「バンザイ玉砕」や「カミカゼ特攻」などのイメージと重ねて、カルト的で危険な信仰だと誤解しておられます。これは、戦後の教育を受けた日本人にも言えることで、「神道」と聞いただけで「右翼」と考える人も多いのです。しかし、これは大きな間違いであり、日本と日本人を理解する上で大きな障害となっています。
 
この第6節でお話ししようとしている、外国人から見て不思議に見える日本人の考え方や行動を理解するためには、先ず太古から続く日本人と大自然との関わりを理解し、そこから発した本当の「神道」を理解する必要があるでしょう。そして、是非とも読者の皆様に知っていただきたいのは、本来の「神道」が信仰や宗教ではないということであり、他の信仰や宗教のように人間の救済や信者の安泰を目的としたものではなく、民族や個人の利害には関わらないということです。日本古来の「神道」は、ただ日々の無事と穏やかな日常に感謝する日本人の生活の一部だったのです。
 
自然との共存

「神道」は、この奇跡の地勢によって生まれた、豊かな自然と清らかな水に恵まれた島国にたどり着いた人々が、気候や天変地位をもつかさどる「天」を崇め、日々の糧を生み出す「地」に感謝を捧げる行為や儀礼に始まります。平たく言えば、日本人は宇宙の運行と大自然をつかさどる根源の存在を畏れ敬い、絶えることなくの食物が湧き出る山や森、川や海に感謝し、すべての現象や存在が「神(精霊)」の顕れであると考えたのです。このように、「神道」において尊ぶべき対象は、宇宙の根本存在を始めとする、国土や森、山や岩、海や湖水、泉や川であり、太陽や地球が織り成す風や雨などの大自然の営みから住居やトイレにいたるまで、「八百万」と言われる数多くの「神(精霊)」が存在し、それぞれが尊い存在であると認識していたのです。
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「神社」と「神職」

この島国に住み着いた人々は、人間が勝手に山や海の幸を採集し、森の木を伐採し、この土地に住まうことを、それぞれの「神(精霊)」に許しを求め、また、嵐や地震をも起こす「神(精霊)」を鎮めるために、特定の場所を設けて供え物を捧げました。その場所が後に「神社」と呼ばれる施設となり、その施設において「神(精霊)」との交信を担う専門職を「神職」と呼ぶのです。
 
そして、今では信仰の対象と勘違いされている「神社」という場所は元々、さまざまな「神々(精霊達)」を迎える拠り代であり、また「神職」とは「神々(精霊達)」にさまざまなお伺いを立てて人々の感謝を伝えるシャーマンであり、政治的な指導者や支配者ではありませんでした。このように、古代の「神道」では「神社」や「神主」は信仰の対象ではなく、一神教や他の宗教のような擬人化された「救世主」や「指導者」、「教祖」や「カリスマ」は存在しないのです。
 
先祖崇拝

さらに「神道」にはもう一つの側面として「祖先」への敬意と感謝があり、それは、私達の親の親にはまた親がいるように、自らの親を始めとする多くの祖先が繋いできた命に対する敬意と感謝なのです。そして、その命の源をたどれば宇宙の創造主である「根源神」に繋がり、自らもその末裔として「神(精霊)」の分霊を宿す存在であると日本人は考えてきました。故に、神社に備えられた「鏡」に向かって参拝するのは、自らの内なる「神(精霊)」を確認する行為でもあるのです。さらに「神道」には、先祖代々暮らしてきた土地、また、これからも子供や孫達を育んで行く土地に対する感謝があるのです。
 
このように、日本古来の「神道」は宗教でも信仰でもなく、人々の暮らしの中から生まれた畏敬や感謝の儀礼であり、それは人間の利害や欲得以前に存在するものであり、日本人の在り方そのものなのです。日本人の意識や考え方を理解するには、このような有史以前から続く日本古来の「神道」の在り方を理解することが必要でしょう。さらに、太古から続く本来の「神道」と、1868年の明治維新によって樹立した明治新政府が整備し、後に政治的に利用する「国家神道」とは、まるで違うものであることを知る必要があるでしょう。
 
つづく
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