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Herald Tribune asahi
Japanese People Do Not Know Japan
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「天皇陛下」

この島国に移り住んだ、さまざまな人々が後に日本人を形勢し、アミニズムを原点として、比較的温暖な気温と豊かな水、森と海から食物が溢れるこの島国の自然に対して感謝を捧げ、地震や荒天などの天変地異を鎮めるために、各地にシャーマンが発生します。悠久の時の流れとともに、多くのシャーマンの家系が融合し自然淘汰されて行く中で、一つの家系が後の「天皇家」へと繋がってきたのです。
 
このことからも、本来「天皇家」というものは、元々この国の統治者や為政者ではなく、この国が穏やかで人々が安らかであることを「神」に感謝するための祭祀を司る家系であり、また「天皇陛下」を中心とした「神道」というものが「信仰」や「宗教」でもないこともご理解頂けるでしょう。このように、「天皇家」とは祭祀を生業とし、その血筋は別として、日本人の家系の中で有史以前から現代まで辿れる唯一の家系なのです。
 
祭主の長

古代から日本には地域ごとにさまざまな「祭祀」があり、その土地に住む人々や縁の在る人々が「祠」や「社」を造り祭祀を行ってきました。「天皇家」は、そのような地域の祭祀を司る人々の長として、特定の地域だけではなく、この日本とい国全体の祭祀や儀礼を担う存在なのです。もちろん長い日本の歴史の中では、直接それぞれの「天皇」が国政に関与した時代もありましたが、古代から日本では祭祀と政治は個別のものであり、元々「天皇陛下」には官位の任命権があるだけで、日本の国政は一部の貴族や武士に委ねられてきました。
 
このように「天皇家」とは、この島国に国家という組織が形作られる以前から、この国の繁栄と安泰を日々祈り続け、日本人が「儀礼」や「生活」の規範としてきた家系であり、日本人の心の拠り所なのです。そして、江戸時代までの多くの日本人にとって「天皇陛下」は、決してこの国の支配者や為政者ではなく、まして「天皇」=「神」などという、「現人神」ではありませんでした。
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「人格神」

外国人ばかりでなく、現代の多くの日本人が「神道」や「天皇陛下」という存在を誤解する大きな原因には、「人格神」という存在があるでしょう。「人格神」とは、この国にとって偉大な功績を残した「天皇」や「貴族」、「武人」などを、その没後に「神」として祀った人々を呼びます。そして、そのような人々を「ご祭神」とした「神社」も数多くあり、近代の代表的な例は東京の明治神宮でしょう。また、「人格神」として祀られた中には、偉業とは真逆の場合もあり、例えば菅原道真公を祀った大宰府の天満宮などのように、この国や「天皇家」に禍根を残す人々を「神」として祀ることで、その人の怒りや恨みを鎮め、災いを避けるために建立された「神社」もあるのです。
 
長い時の流れの中で、一部の「神道」は「仏教」などの「来世での救済」や「現世利益」といった思想の影響を受け、「人格神」などを「神」として信仰し、それらが人間の「願い事」や「欲望」を叶えるとした「お陰信仰」に変化してきました。そして、いつしか日本人は、「神を畏れ敬う心」を無くし、不遜にも「神」を、小銭を投げつけて使役する存在にしてしまいました。さらに、かつての日本では「正神は言上げせず。」と言うように、本来の「神」は人間界には関わらず、また「触らぬ神に祟りなし。」と言われるように、たとえ「神」と呼ばれる存在でも、すべてが「崇高」な存在とは限らないことを忘れてしまいました。
 
「天皇陛下」と「国家神道」

「天皇陛下」は、長い日本の歴史において、祭祀を通じて日本人の心の拠り所となり、また政権が変わるたびに国政を担う者達を任命してきました。そして、その任命権ゆえに、時代時代の権力や勢力によって、さまざまな形で政治利用されてきたことも事実でしょう。
 
江戸末期から明治初期にかけて、後に明治新政府となる勢力は、その政権の基盤をヨーロッパ型の立憲君主制に求め、「天皇陛下」を政治利用して、太古から続く本来の「神道」を改革し、「国家神道」への道をたどりました。確かに、この改革によって日本の近代化は一気に進むのですが、明治から太平洋戦争の敗戦に至るまでの間、一部の政治家と軍部が、「天皇陛下」の御威光と「国家神道」を国内の統制や外国との戦争遂行に利用してきたことが、外国人ばかりでなく、現在でも多くの日本人が「神道」とともに「日本の歴史」を誤解する大きな原因となっているのです。
 
つづく
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